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神様は超えられない試練は与えない


少し前に、白血病を公表した池江選手が「神様は超えられない試練は与えない」とコメントされて話題になってますよね。

私は、それには続きがあると思っていて、



「直面している試練は、その先の何かのために実は神様が準備しておいたもの」

と(勝手に)思っています。

つまり、試練は超えられて(「超えた」の定義はそれぞれですが)、それを超えた経験は何かに活かされるための布石ということ。

子供の頃に米国に住んでいたからか、「誰も見ていないと思っても、神様はどこかで見ているよ」と周囲から言われて育った私。

だからかしら・・・。

身近な例で言えば、「あ、あの時の出会いはこのためにあったんだ!」とか、「あの経験はこの仕事のためだったんだ!」とか点が突然線になった!と思うときがありますよね?

それの人生バージョンのような。

私も「あんなに苦しかった経験は、このためにあったんだ!」と感じる瞬間に出会ったことがあります。 その時にようやく、昔の辛かった経験がチャラになって、「もぉ、神様、この展開があるなら早く言っておいてよ!」と突っ込みたくなりました。

だから、どうしようもなく辛くて、もがき苦しんだ経験も「きっと、この経験はいつか誰かの何かの役に立つためなんだ」と思うようにしてます。

人生の中では色んなライフイベントが起こります。四方八方塞がれた気持ちになることもあると思います。



でも、その先には、経験をしたからこその展開がきっと準備されていますよ。


とはいえね。

苦しかったり、辛かったりの渦の中にいる人は、それが「経験」に変換されるまでは、泣きたいのに泣けない時さえあると思います。 「いつか役に立つっていつよ!」とグラグラと揺らいだり、何かのせいにしたくなることもあると思います。




どこにどう踏み出したら良いのか、悩んだときは話に来てみませんか? 一緒に見つけましょ。


写真は御茶ノ水駅の近くのニコライ堂。

ちょうど鐘を鳴らしているところを通りかかりました。 なんと、人が上に登って、手で鳴らしているのですね。びっくり。



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